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一年半付き合った彼氏と2ヶ月半前別れました。

色々しんどくなって自分から別れるってゆった。
でもやっぱ大事で何回も戻りたいってゆった
別れても会えたし戻れたらかもしれん
なのに怒らせてまって今は連絡とれんね

片想いして一年半後、付き合って一年半…

いっぱいケンカもして何回も別れたりくっついたり。でもお互いすごい変わったよね

あんなクールなイメージやったあんたがあんな風に笑ったりはしゃいだり怒ったり泣いたりする
なんて思わんかった

今は世界でうちしか知らんあんたやと思う

すっぴんを可愛いゆって笑ってくれるのも100均でボール買ってバレーやるのもいびきかいて
寝とるうちを見てニコニコしてくれるのも嫌いな野菜よけとるうちを笑って食べてくれるのも
あんたやでしあわせで楽しくて嬉しかったんやん。

あんたがくれたもん泣くの怖くて見れんくなってまったやん。

新しい携帯にあんたからのメールも着信もアドレスも入ってないのが悲しいわ。

お願いやで他の人にあのあんたを見せんといてよ。

うちはまだあんたが戻ってくるのを信じとるから。

あんたを理解したれるのはうちだけやお。
あんたの変わった性格に付き合ったれるのはうちだけやお。

いっぱい別れるってゆったのは謝る いっぱい怒ってきてごめん。
鈍感でもあほでもなんでもいいでお願いやで戻ってきてよ。
あんたしかだめやてうちは。

みんなこんな後悔はお願いやでしんといてよ。
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2007.01.30 
いつも傍にいてくれる彩。
俺が悩んだとき話を聞いてくれたりしてくれてありがとう。

彩と一緒にいるときが1番楽しいよ。

まだ8ヶ月ちょいしか付き合ってないけど、ずっと
ずっと俺の隣で笑っててな?俺ゎ彩が笑った顔が一番好きだから。

あと2ヶ月ぐらいしたら
別々の道に進むけどずっと一緒だからな。

いつも心配ばっかかけてるけどこんな俺を嫌
いにならないでな?最後に。。。

一生彩のこと愛し続けるって誓う。

大人になったら迎えに行くから待っててね。

いつもありがとな。
2007.01.29 


「それはできない」

静かだったが、りんとした声。
威厳をもって、Aさんは言った。

Aさんは75才の男性。
妻と2人暮らしだった。
近所でも評判の仲の良い夫婦だ。
Aさんは私が以前、勤めていた道内病院の患者だった。

Aさんの妻は、もともと東京のお金持ちのお嬢さま。
旅行で北海道を訪れた際に偶然、知り合った。
お互い、一目惚れだったが、双方の両親に反対され、駆け落ち同然で結婚したのだという。

その時Aさんは「彼女を幸せにすることに一生をかけよう」と誓ったのだそうだ。

そして苦労もあったが、夫婦が力を合わせて乗り切ってきた。
二人の子供達も独立し、Aさんは定年で仕事も引退して穏やかな日々が訪れるはずだった。

その時、Aさんの妻は発病した。
アルツハイマー病だった。

言ったことをすぐに忘れたり、道に迷って家に戻れなくなったりするようになった。
常にAさんの見守りが必要だった。
あちこちの病院にかかり、良いとされる薬や運動も食事も試したが、状態は改善しなかった。
Aさんの妻は、序々に弱り、今では殆ど寝たきりになった。

子供達や周りの人や、妻を施設に入所させてはどうか、と言った。
Aさん自身も高齢であるし、Aさんが倒れては元も子もない、と介護疲れを心配した。
その時、黙ってみんなの意見を聞いていたAさんが言った。

「施設に入れることは、今までの私たちの生き方を曲げることになる。
彼女は施設に入りたくないと思う。
だから、それはできない」

みんなは、Aさんと妻との強いきずなを前にもう何も言うことはできなかった。

そばで寝ている妻の顔は穏やかで、なんとなく微笑んでいるように見えた。

誰かがAさんの前でこう言った。

「人生はどの道を選ぶかではない。
選んだ道でどう生きるかが重要である、と」
2007.01.28 
 
私の家は自営業で、朝早くから両親とも忙しかったせいか、お弁当というものを作っても
らった記憶がありませんでした。貧しい訳ではなくどちらかというと裕福だったかもしれ
ません。なので家庭に不満はありませんでしたが…。
いつもお弁当代を渡されコンビニや学食で昼食を食べてました。ですから、まわりの友人
達の手作りのお弁当をいつも羨ましく眺めてたりしていたものです。
私は手作りの弁当に対する憧れが強かったのです。
逆に周りからは毎日好きなものが食えて羨ましい、なんて事を言われる時も結構あったり
しました(笑)。

彼女ができると映画やショッピングなど外食をするデートよりも、お弁当を作ってもらえ
るようなアウトドア系のデートの方が好きでした。
その彼女を妻にして、仕事の日は毎日弁当を作ってもらいました。お昼はいつも、大人気
なくウキウキしました。仕事でミスしたり、落ち込んだりした時でも妻の弁当を食べる時
は何時も心が小踊りしました。
お昼時がくるのが毎日毎日楽しみでしかたありませんでした。

その妻も8年前に病気で亡くしました。これが最後の妻の手料理になる食事で、妻は私に
何が食べたい?とリクエストしてきました。私は、お前が作ってくれるお弁当が食べたい
と言いました。妻はニコニコ笑いながら、食事とお弁当を作り出しました。最後のお弁当
を開けたときには、もう拭いても拭いても止まらない程の涙が溢れてきました。
私たち夫婦には子供がいなく(一度身籠ったのですが流産しました)独り身になった私
は、また外食ばかりしています。

もう夢の中だけでしか食べられなくなってしまいましたが、今でも一番食べたい物は、
やはりあの愛情の籠もった妻の手作り弁当が食べたい。
2007.01.23 


私は去年、老人ホームで働いてました。
その時に一人のおばあさんと出会いました。

皆とは話をしないで、
いつも怖い顔して介護士の中では有名でした。
口を開けば「殺される」
「あんたなぁ」って文句ばかりで介護士をすぐに叩くし、
要注意人物でした。

私も何度も叩かれて、その当時の彼に愚痴ってました。
すると彼が「寂しいんじゃないか」って言わ
れてそれから私は叩かれても、何を言われてもおばあさんに話してました。
介護士の同僚には何を言われても頑張りました。
そんな事を一ヶ月近く、
続けてたある日そのおばあさんに

「あんた、いい人やなありがとう」って言われました。

もう老人ホームを辞めたけど
絶対に現場復帰したいと思ってます
2007.01.23 
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