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おめーとは四つ離れてて小さい頃はちゃんと俺が面倒見てたよ。
けどよく喧嘩して泣かせてたよな?

俺だけいつも母さんに怒られるんだよ↓ まいっちゃうよな↓
そんなこんなで俺は大学に行き、
おめーは中3! 俺がグータラだから、
おめーはしっかり者になったな。

いつも喧嘩してたけど離れてからは急に優しくなったな。
八月に帰省した時は俺の部屋に布団しいてくれてたな。

嬉しかったな。

本当グータラな兄貴でごめんな。

だけど俺とおめーは何があっても兄弟だ。
だから何かあったら言ってくれ。力になるからよ。

頼みがある。 俺が家に帰るたび母さんは体調が良くない。

俺とおめーを産んでくれた母さんだから助けてやろうな。

父さんも寂しがりやだから、たまにはかまってやれな。

そしていつかは結婚する妹よ。

俺は必ず泣くだろう。

まだまだ先だろうけどおめーの幸せを一番願っています。
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2007.02.26 


俺の高校卒業式、おかんが見に来てくれた。
帰り一緒に駅まで歩いてたけど、
仲間がいたからなんか恥ずかしくなって、仲間と一緒に
駅まで歩いた。

おかんは5メートル位後ろからついてくる形で…。
駅についても、離れてた。
あの頃は親と仲良く歩くなんて格好悪いなんて、
くだらない考えを…。

あの頃いつも俺のわがままに振り回されて苦労かけたね…。
なのに愚痴も言わないし、涙も見せないし、
悪い事したら優しく叱ってくれた。
今でもそう。

あなた程の母親はいません、

今までごめん。

これからは親孝行するから…。

今までゴメン。
2007.02.26 


父親が死んでしまったのが中学三年生の時で…それから母親は一人で生計をたてていました。

四人姉弟の真ん中三番目の僕は男一人だった事もありかなり手を妬かせていたと思います。

高校生になってバイトをしても家計を助けるわけでもなく…自分のためだけにつかっていました…。

兄弟がそうだったから違和感がなかったといえばそうなのかも知れないけれど 一人で五人家族を養える訳がなかったのです。

毎日 朝から晩まで働いてた やりくりして学費を払わせ…必要な物を買ってもらい何不自由なく育てられて…

それが当たり前だとすら感じていました。
高校入りたての頃に一番上の姉ができちゃった婚をし もう一人の姉が大学に入り一人暮しをし始め…

残るは自分と妹だけになりました。
そんな時、母親は会社の男性となかよくなり…あまり家に帰って来なくなりました。
妹と二人で食卓を囲むことが増えました。

そんなある日会社で大きなリストラがあり母親もその中の一人になっていました。
一気に生活は苦しくなりました。
母親は出稼ぎにいくと僕らの暮らす街から離れ遠くで働きはじめました。
いつからか家族がバラバラになっていて…それが当たり前になっていました。
高校を卒業して就職をして半年…ぐらい経った時でした。
未だに僕は妹を抱えながら生活費を母親に貰いながら生活していました。
とても新卒の人間の給料では生活が出来なかったからというのもありますが甘えだったのだと今は思います。


会社に電話がはいりました…
母親が倒れたと…
意識不明だと…
夜だったためすぐに向かうことは出来ず翌日むかう事になり会社を暫く休む事にしました。

脳梗塞…くもまっか出血を併発…病院で手術しても助からないかもしれないと言われました。


白い壁の病院が寂しい世界に思えました。
久しぶりに会った母親は意識がなく話しかけても返事がないのだから…。
手術をしたあと病室で
母親が意識を取り戻し僕等にむかいこう言いました。
《大丈夫だよ 転んだ訳じゃないから…》それが最後の言葉でした。

それから容態は急変し翌日医者から告げられたのは植物状態で延命させるかという質問でした…。

姿はそこにあるのに…もう命はないのだと…目を開けないんだと…親を殺してしまいました…

機械を止めてもらいました。

今までごめんなさい…。
2007.02.20 
 

高校受験の二日前におじいちゃんは死にました。

7年間病気と戦っていました。
孫の中で一番かわいがっていたのは初孫の私でした。
私も自分のわがままを最大限聞いてくれ、両親よりも愛を注いでくれたおじいちゃんのことが大好きでした。

入院したときには度々お見舞いに行き、毎回手紙を渡していました。

高校受験の日が近づいていたある日いつものようにお見舞いに行ったのですが、
おばあちゃんお母さんは私を病室に入らせようとしませんでした。
そのときはなんでか分からず、おばあちゃんとお母さんにすごい怒りを感じました。
後から聞いた話ですが、
死ぬ間際のおじいちゃんと私を対面させてくれなかったのは、
おじいちゃんの脳の血管が切れてしゃべることも
私を認識することもできなかったから、
ショックを受けるんじゃないかっていう配慮でした。
けど、それでも私は無理言ってでも会えばよかったと後悔しています。

受験の二日前お父さんが「ただいま」と暗い声で帰ってきました。
私も弟も雰囲気を察して無言で夜ご飯を食べました。
ご飯を食べ終わった後お父さんは「おじいちゃんが死んだ」と言うことを告げました。
すぐにその夜行われたお通夜にむかいました。
おじいちゃんはおばあちゃん、いとこ、おばちゃん、おじちゃんに見守られて眠るように息をひきとったそうです。

病気のせいで顔が黄色くなったおじいちゃんを見て悲しすぎて涙が出ませんでした。

おばあちゃんやおばちゃんが、棺におじいちゃんが大切にしていた私の
今まで書いた手紙を入れようと探したらしいのですがどこにもなかったそうです。
その手紙は今でも見つかっていません。
だからみんなおじいちゃんは私の手紙を自分の手で天国に持って行ったんだろうねって言っています。


おじいちゃんがあと数時間遅く息をひきとっていたら、
お通夜が次の日になりお葬式の日が受験の日とかぶっていたそうです。

私が一番行きたがってた高校の受験の日に支障がないようおじいちゃんは
計算して息をひきとったんじゃないかと思って
私は今でも悲しくて仕方がありません。

おじいちゃん本当にありがとう。
2007.02.18 
 

些細な事ですが…

10年程前、母が何かの病気(今だに知らないのはちょっとおかしいですよね(;^_^))で手
術して入院しました。

私の通っていた中学校の昼食は、給食ではなく弁当持参の学校でした。

毎朝作ってくれていた母が入院したので、
その1ヵ月弱の期間、
代わりに父が毎朝早くから起きて作ってくれました。

私の兄弟は3姉弟でした。
皆年が近かったので、3人分を作らなくてはいけませんでした。

父は「友達に見られても恥ずかしくない弁当を作るから安心しろ!p(^-^)q」と、テレビ
の料理番組や本を見ながら研究したり、友人に聞いたりしていたようです。

父は毎日の弁当に、必ずしょっぱい卵焼きを入れてくれていました。

季節は夏だったので、父なりに調べたのであろう
「塩を少し効かせると腐りにくいんや♪(゚∀゚)v」

と、どこから仕入れた知識なのやら、その卵焼きは塩味の効いた不器用な卵焼きでした。

アレから十数年…
母が残業で遅くなったりして夕食の支度がまだの時は、父が例の卵焼きをよく作ってくれ
ます。
その卵焼きは、まだ少ししょっぱくする癖が残っており、食べる度に
「あぁ…、オレの親父の味だな」と、ホロリとしてしまいます。

父と呑む晩酌の、愛情の効いた最高の肴です。(*^ー^)
2007.02.18 
大人は本当に大人かな?

援助交際をするオヤジ。

自分の子供を殺す親。
医療ミスを繰り返す医者。
生徒にスグ暴力を振るう教師。
チカンをする警察官。
ズルをする上辺だけの偉い人。

こんな大人をあたし達子供は信じられない大人が言う事は本当に正しいのか?

こんな大人ばかりがいるから親を殺す子供。
自殺する子供。
覚醒剤や自分を売り金にする子供がいるんじゃ…?

あたし達子供が未来を切り開くのは知ってる。

でも今ある現実を作ってるのは無常な大人達じゃないの?

今があるから未来があるんだからね!!
2007.02.16 
三年くらい前まで何がなんだか分からず悩みどうしていいか
分からないとき、私はリストカットをしてしまいました。
衝動買いやドカ食いと同じ感覚で。
自分を傷つけることでストレス発散してしまう。
良くないって分かってるのに…。
愛情に飢えているときよくしてしまう。
声をかけてほしいのかも。でも私は分かってる。
そんなので振り向かれたって一瞬だって…。
だから自分を傷つけても傷を隠している。
心も体の傷も見透かされらないように私はいつも自分を隠している。
警戒心が強くて臆病者だから愛情を感じられないと不安でしょうがない。
偽りでもいいから愛されたい。
薄ぺらいものなんてイヤだけど一人じゃ居られなくて上辺だけでも求めてしまう。
今もしてしまうことがある。
もっと強くならないと。また昔に戻ってしまう。
毎日の成長って簡単のようで難しい。
自分の弱さに負けないように自分自身との戦いが続く。
これからも私の戦いは続く。
何よりも自分との葛藤は成長にもつながり、強くなる肥やしだと思う。

(きょうこ)
2007.02.16 

俺は、あと、数週間の命らしい。

生まれて23年短かったなあ、
あえて言うならば、
ゆきこにもう一度逢いたいな~可愛かったよ。

死ぬのが怖いんじゃないだよな、

なんかやり残した事が一杯で。
人はね死ぬって言われても、実感がないんだよね。

不思議なもんだ。今も、激痛でうざったいけど、

なんか不思議な感じ。

もし、目が覚める事が出来たならば、ゆきこに逢いたいな。
エクボが可愛い子だったな。

幸せにね。
2007.02.12 


皆さんの投稿を見て書きました、たいして泣けないかもしれないですが、良ければ聞いて
下さい!
父が亡くなって丁度一年が立とうとしてます当時私の父はとても、石頭で、仕事のストレ
スなら何やらを、家族にブツケテいました、三度くらい、離婚の話になったのですが
いつも母が、謝って戻って来てましたしかしそれも限界でした母は、私達に言いました、
ごめんねお母さん二人が成人に成るまで耐えられなくて
私は思わずもう良いよ!お母さんはよくやったよ!私はもうお母さんが苦しむのは見たく
ないよ!
そして母と父は離婚しました!その直後今まで石頭だった父が重度のうつ病に掛かりまし
た、カウンセラーを受けながら居たのですが
ちょこちょこ出て行った私達の所に来る様になりました!私達は父が嫌いでなんで来るん
だよと思いましたしかし部屋に入ったら
私は目を疑いました物凄い亭主関白だった父が私達の前で土下座をしたのです「頼む戻っ
てきてくれ」その時私達は今はハッキリ言えないと言いました、そして父は人が変った様
に良くなりました
しかし私達は今までされてきた事が忘れられず演技してるんじゃないかとか思ったりしま
したいろいろヒドイ事も口に出したりしてしまいました、出て行け早く帰れ
などうつ病の父にたいして最低な事を言ってしまいました!その後三か月位した時でした
その日は、空も晴れた夏休みの日でした友達と遊ん時
母から電話があり「お父さんからお米もらって来て欲しいんだけどと」言われたが良いよ
別にラーメンでも食べれば言いじゃん父に会いたくない一心で言ってしまいました!
元の家に帰る事も出来たのに帰らなかったのです!そしてその日の夜父は自殺しました!
母がお風呂に入っていて携帯がマナーモードにっていて誰もきずきませんでした、そして
母がお風呂から上がってびっくりです!
私は嘘だと思い、元の家に向かってる時兄と嘘だったらひっぱたいてやろうねなどと言
い、父は私達が考えてる以上に病気がヒドかったようで
私達が着いた時にはすでに遅かったです!兄弟ふたりで心臓マッサージと人口呼吸をしま
した!けれど時すでに遅し、父はなくなっていました!
祖父ちゃんのの葬式でも泣かなかった私達ですら!号泣しました!
お父さん今までありがとうと一言言いたかったです!「ごめんなさい」そして「ありが
とう」と
私は改めてうつ病の恐ろしさを知りました
2007.02.11 


中学ん時 バカばっかりやってた俺。学校にもほとんど行ってなかった。たまに学校に
行ってもみんなが軽蔑した目で俺を見やがる。いつものように早退しようと玄関まで行く
と担任が「よく来たな!明日も来いよ!」って言ってくれた。俺は黙ったまま出てったけ
ど本当は嬉しくて泣きながら帰ったんだ。今年で俺も21歳。未だに年賀状くれる先生。
あん時言えなかったけど、こんな俺を心配してくれてありがとう!大好きだぜ!先生!
2007.02.11 
 

生まれつきの難聴で、大人になるにつれ低下していく聴力の中で毎日が不安だったあの
頃、あなたと出逢いましたね。

度々、あなたの言ってる事が分からずキョトンとしている私を「かわいい!」って抱きし
めてくれたり、髪をアップにすると補聴器が見えるのをずっと嫌がってたのに、「アップ
にした方がかわいいんじゃない?」って、あなたに出会って私とても前向きになれたよ。

覚えてる?プロポーズで言ってくれた事?
「あっちゃんの耳が聞こえなくなっても、あっちゃんはあっちゃんだから。今までと変わ
らず愛し続けるよ。音の無い世界に突然いったとしても俺が音を届けるから」って。
『ケッコンシヨウ!』って慣れない手話で言ってくれたっけ。すごく嬉しかった。私が知
らない間にそんな勉強してたなんて・・・

あれから、もう3年たったのね。
すっかり私は音の無い世界に来てしまったけど、でも不幸だなんて思った事ないよ!
むしろ幸せかなぁ、なんて。
街を歩いててもこんなにお互い向き合って話す(手話)カップル他にはいないもの・・・
でも、知ってるんだ。
聞こえなくなっても私の事変わらずに「あっちゃん」って呼んでくれてるでしょ?
口がそう動いてるもの。本当に優しい人なんだね。
だから、今でも変わらずに私にはあなたの声だけが聞こえてくるようよ。
あなたが言った「音を届けるから」ってこういう事だったのね。
2007.02.06 
 

いい話じゃないけど…今日お母さんに思い切り怒鳴ってしまった。それもお母さんは何も
悪くない。
学校で嫌な事があったから八つ当たりをしただけ。
私はお母さんを怒鳴った後部屋に入った。
涙が出た。「あんな事言うつもりはなかった。お母さんは何も悪くない。ごめんなさいお
母さん…」
私は泣き崩れた。いつもおいしいご飯を作ってくれるお母さん。いつも起こしてくれるお
母さん。悪い事をした時は叱ってくれるお母さん。そんなお母さんに私は「ムカツク。ま
じ意味分かんない!」と言ってしまった。私は強がりだから謝る事も出来ない。きっとお
母さん…私の言った言葉傷ついたよね…ごめんなさい。今日は面と向かって言えないから
この場を借りて言います。
お母さん。私とお母さんはいつか離ればなれになる。どっちかが死ぬとそこでお別れ。私
が結婚するとお別れ。その時後悔しないように言います。私はお母さんにはほんとに感謝
してるよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。いつも起こしてくれてありがと
う。わがまま聞いてくれてありがとう。お母さんが産まれて来てくれてありがとう。私を
お母さんの子として産んでくれてありがとう。側に居てくれてありがとう。私の宝物は家
族だよ。もちろんお母さんも。
大好きだよ。お母さん。
2007.02.06 


あたしが小学校のときまで、超石頭だったお父さん。
あたしが中学校にあがったときお母さんが亡くなり、
あたしはこの先お父さんとやってけるか不安だった。

でもお父さんはかわったよね。まるでお母さんが作るみたいなかわいいお弁当。
近所の方を招いて庭でお食事。あたしの友達にさえ、
我が子のように接し、
お父さんファンがたくさんできていったね。

一人で二役は大変だったでしょう。

悲しい思いをさせまいと、頑張ってくれたお父さんの気持ち忘れないよ。

あの日はめずらしく晴れて暖かい日だった。
おかぁさんが迎えにきたんだね。何一つ親孝行できなくてごめんね。
でも、お父さんが残してくれたたくさんの『友達』がいるから安心して天国いってね。
『友達』にお父さんみたいっていつか言われることができたらようやく親孝行になるかも
しれない…
2007.02.06 
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